2026年4月14日火曜日

琉球朝日放送『検証 動かぬ基地』-普天間返還合意から30年-

 2026410日、琉球朝日放送(QAB)で以下の特集が放映されました。

『検証 動かぬ基地』

普天間返還合意から30年 沖縄が描いた「グランドデザイン」とは

https://www.qab.co.jp/news/20260410289965.html

1996年の普天間基地返還合意から三十年の節目に制作される特集の皮切りとなる報道で、当法人は、関係資料の提供、東京支社でのインタビューなどの協力をさせていただきました。

特集です。普天間基地の返還に日米両政府が合意してから12日で30年が経ちます。

今回は『検証 動かぬ基地』と題して、基地から派生する問題や国の安全保障について検証する特集を改めてお送りします。

30年前、当時の大田県政が描いていた「国際都市形成構想」。基地を含めた沖縄全体の構想を、新たに見つかった資料とともに振り返ります。


橋本龍太郎総理(当時)

「普天間飛行場は今後5年ないし7年以内に、これから申し上げるような措置が取られた後に、全面返還されることになります」

19964月、当時の橋本総理が表明した普天間基地の全面返還。

一方、当時の沖縄県政は、米軍基地のない未来と自立的な発展を描いていました。その計画に迫ります。

ニュー・パブリック・ワークス 上妻毅氏

「(基地で)虫食い状態の県土だけを相手にする将来構想ではなくて、基地を返還せしめ、その跡地を利用していくということでは、リンクというより表裏一体な話」

上妻毅さん、1990年代の県の構想策定に携わったコンサルタントです。当時の県が策定したのは「国際都市形成構想」。基地の存在を前提とせず、県内各地に国際交流や物流拠点などを置き、自立的発展を目指したプランです。

実務面を取り仕切ったのは、当時の吉元政矩副知事。

吉元政矩副知事(当時)

「沖縄は、東アジア、南太平洋を含んだ中心、ど真ん中という意識を持っていただきたい」

「(沖縄から)3000㎞でぐるっとコンパスを回す。その範囲は私たちの職域、働く範囲。そこまで手を伸ばしてみようじゃないかというのが、国際都市形成の一つの考え方」

周辺国や地域とのつながりを目指して、1992年頃から県は計画策定を進めていました。そうした中で起きた、1995年のアメリカ兵による少女暴行事件。

県内から基地の整理縮小を求める声が高まる中、全国的にもいわゆる「沖縄問題」が注目を集めました。

当時の大田知事と村山総理の会談。県側は、このタイミングで国際都市形成構想と合わせ、基地返還を求める「アクションプログラム」の試案を政府側に示します。

上妻さんは最近、書類を整理する中で、当時、政府側に示した資料を見つけたといいます。この時、国際都市形成構想での自立発展とセットで示した、3段階に分けて基地の返還を求めたアクションプログラム。非現実的とみる政府側の反応もある中で、こう切り返していたといいます。

上妻氏

95年当時、(官僚は)2015年に嘉手納を返すなんてもう笑っちゃう、お花畑みたいな話、それに近い趣旨で言ったんだと思う」

「(吉元副知事が)20年先の話を可能性も含めてあなたは断言できるのかと言ったら、(政府側は)それ以上しゃべらなかったという話を聞いた。ありとあらゆるポシビリティがあると思うわけ」

一方、大田元知事について著作もある沖縄国際大学の野添文彬教授。国際都市形成構想の県政での位置づけを解説します。

沖縄国際大学 野添文彬教授

「沖縄県側がこのような具体的な要求をしてくる、沖縄県がこうした準備をしてくるということを、当時、日本政府は予想していなかったところがある」

「(大田元知事は)研究者時代の経験もあって、地方分権に非常に関心を持っていた。同時に、沖縄戦の体験者ということもあって、平和にも関心を持っていた」

「大田氏の人生が、ある意味で沖縄の近現代史を象徴するものだった。そういう中で、吉元氏が副知事として支えながらビジョンを具体化していったとみている」

1996年になって政府側では橋本内閣が発足。4月に普天間基地の全面返還を示します。日米両政府は1996年の末、SACO最終報告として一部の基地返還の方針を打ち出しました。

上妻氏

「投げるべきボールを自分たちで作って、(国側に)投げた」

「絶対に、最も譲れないのは普天間というのは、一貫して吉元さんは主張していた」

「SACOがこの基地返還アクションプログラムの考え方をできる限り汲んだ形だと思いたいけれど、その中に普天間が入ってくるのは当然でしょ、と思う」

ただ、30年前に示された普天間基地の返還は、普天間基地の移設先として名護市辺野古が示され、政治的な混乱が続き、普天間基地はいまも宜野湾市の真ん中に存在し続けています。

野添教授

「沖縄県側は日米安保や日本の安全保障のあり方、全体の構造の問題として、普天間の辺野古移設問題を捉えている。対して日本政府側が考える普天間の辺野古移設問題は、危険性除去ということに絞られ、そこにずっとズレがあるまま今日まで来ている」

橋本総理(当時)

「平和で活力に満ち、潤いのある地域の実現を目指した『21世紀・沖縄のグランドデザイン』は、沖縄県がその願いを込めた構想であると承知いたしております」

一方の国際都市形成構想。国側は協力姿勢を一定示したものの、県内の合意形成や県庁内の態勢の不調、大田県政の終焉など、様々な要因でフェードアウトした形となりました。

上妻氏

「吉元さんが言っていた。白いキャンバスに思い切って将来像を描いてください、と」

普天間の返還合意から30年。アメリカ軍専用施設が沖縄に集中し、近年は対中国を標榜した拠点化も進む中、沖縄の自立的な発展は許されないのでしょうか。

上妻氏

「悲しいくらいの日米関係の現実。アメリカは戦利品だと思っているんじゃないかとも思うわけ、いまだに沖縄中の基地を」

「そのアメリカですら、これは動かないとまずいと、この時は動いたわけですよ。同じことが、また同じ可能性があるかどうかは全くわからない」

「米中関係も含めてこれからを考えた時に、沖縄問題は塩漬け、沖縄の基地は塩漬けですか、と聞きたいね」

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